急に海南島のこと話したくなった
こんばんは!
マレーシア留学記にするはずだったこのブログなのですが
私が日本の大学在学時に活動していた中国キャンプのことを書きたいと思って今回は話が逸れる形になってしまいますがお話ししたいと思います!
私が行ったワークキャンプはハンセン病快復者の方が住む快復村で行われました。
私のこの活動がどれほど暖かいものなのか、文章に書き留めたくなったのでここに書きます!!
今回はキャンプ中に一番仲良くなったシャオワンズポーポのお話を少しの間目を通してもらえると嬉しいです。
シャオワンズポーポーとは前回のキャンプで仲良くなった。前回から半年弱しか経っていないものの私のことを覚えているのか不安だった。今回のキャンプの初日、シャオワンズポーポのところに恐る恐る行ってみる。
『オーーーーーーーーイ』
あの甲高い声と満面の笑みを見た瞬間二月の記憶が蘇ってきてまたここに来れたこと、またシャオワンズポーポに会えたことが現実なのか夢なのかわからなくなるくらい本当に嬉しかった。
初日のお昼、シャオワンズポーポのところに行った。一人のキャンパーがシャオワンズポーポの爪を切っていた。このおばあちゃんは手にハンセン病の後遺症が残っている、そのため爪を切ることが自力でできないんだと思う。こういう日常的に普段自分たちができることはいかに恵まれているのかこういった何気ない瞬間でも私たちに教えてくれる。
(シャオワンズポーポの爪を切るキャンパー)
シャオワンズポーポーは私に髪を切って欲しいと頼んだ。もちろん人の髪を切るのは初めてあり、どのように切ればいいのか躊躇いもあった。しかしこのおばあちゃんは私たちのように気軽に美容院に行けるわけでもなくお金も支給分しかないと思うとこんないい機会を自分ができないからという理由で断りたくないと思った。挑戦した。
(言葉が通じなくても目をつぶってといえば分かる)
最後はおばあちゃんの笑顔で大満足されることができた。
ある日のホームビジットの日、シャオワンズポーポーは写真を見せてくれた。私の知らないシャオワンズポーポ。おばあちゃんの昔を知ることでより一層おばあちゃんを理解できると思って本当に楽しみながら写真を見た。私はある写真を見て手が止まった。おばあちゃんが知らないおじいさんと一緒に写っている写真。私が指をさすとおばあちゃんは
『アーゴン、アーゴン』
と呟いた。そうか、このおばあちゃんは結婚していて旦那さんがいたのか。私の知らないアーゴンの存在。声はどんなだったのかな、シャオワンズポーポはアーゴンとどういう風に時間を過ごしていたのかな、一緒にお昼寝を毎日していたのかな、そんなことを考えていると私はすごくアーゴンに会いたくなって写真に向かって
『アーゴン、アーゴン』
と叫んでいた。シャオワンズポーポは私の横で今まででいちばんの笑顔を見せた。その笑顔からどれだけシャオワンズポーポがアーゴンのことを大切に思ってたのかが伝わった。
この写真の日付は確か2年前の2015年であった。もしこの活動を大学一年生の時から初めていればこのおじいちゃんに会えていた可能性もあるかもしれないと思った。しかしもしこの活動を早く始めていたら始めて訪れた村がこの村でなかったかもしれないし、シャオワンズポーポに会えていなかったかもしれないと思うと私がこの活動を大学2年の終盤に始めた必然性を感じた。
(一緒にアーゴンの写真を見るシャオワンズポーポ)
(シャオワンズポーポの若い頃の姿を見てびっくりする私とそれを見守るシャオワンズポーポ)
帰る日のホームビジットももちろんシャオワンズポーポのところに遊びに言った。お昼寝をしていたシャオワンズポーポ。しかし私は来るとすぐに気づいてくれていつものように笑顔で迎えてくれた。この時間が永遠に続いてくれればいいのにな、もっと身近にシャオワンズポーポに会えたらいいのにな、そんなことを考えながら刻々と時間は過ぎていった。最後のホームビジットの時間が終わる時、それは私たちがこの村を出る時。今回、私のネームプレートは絶対にシャオワンズポーポに渡そうと決めていた。おばあちゃんの首に私のネームプレートをかける、すると嬉しそうにそのネームプレートを握って大事そうに私の写真を眺めてくれた。この時、私は自分の感情をコントロールすることに必死だった。
ホームビジットは単に村人と交流することがメインじゃない、交流する中で生まれる感情、または自分がいかに恵まれている環境に置かれているのかを再確認する場所であり、村人との関係性を構築することが肝であることをシャオワンズポーポは教えてくれた。
もしここまで読んでくれた人がいたらとっても感激です!!
シャオワンズポーポのことだったり、この活動の内容を詳しく話していないので何やねん〜って思う方もいるかもしれないので、この活動については後日詳しく書きたいと思います!