一生ものでない一瞬の楽しみを愛せるのか
本当に描きたい記事書けていないのですが最近思ったことを書きます
イギリスきてマレーシア校にいた時に比べると街に出て遊ぶことがだいぶ増えました
学校終わったら街に出てご飯を食べる
寮での夜ご飯終わったら街に出てバーで飲む
バーで飲んだ後クラブに行ってみる
とか様々なことしてみました
すごく遊んでいます、でもなぜか満たされない自分がいるのも事実です
にほんもここも「一瞬の楽しみ」が多いと思います
「一瞬のご褒美」「一瞬の楽しみ」がとても大切なのはわかります
何が提出日や課題がある時
「これが終わればたのしみがある!!!」と思えるのは事実です
でも、その楽しみはただ目標がない日常に定着してしまったらただの「日常」になってしまうのです
私にとって遊ぶことはただの日常になってしまっているのかもしれません
それに気づくと結構
「なんで私ここで遊んでいるんだろう」
「なんのためにここにいるんだろう」
とか思ってしまうんですよね〜
遊ぶこと=普通
になっているということです
最近、冬休みや夏休みになると海外や国内のボランティアに参加して一生ものの思い出を作ってその楽しみを知ってしまったからもしかしたら普通の日常の楽しさが刺激がなくなっているのは事実かもしれないです
多分2年前とかだったらすごく楽しめていたことが最近では日常というか当たり前になってしまって、集まりが終わって家帰ったら
「ああ、終わったな。次いつかな」
って今回楽しかった思い出を振り返るのではなくまた同じ娯楽を続けることでその楽しみを続けているような感じがするのは事実です
なんか心から楽しいなって思えることって経験を色々することによって変わってくるんだなと思いました
本当に楽しいことってなんでしょうね
インスタに載せてみんなが楽しそうと思うこと?お酒飲んでクレージーになること?
いい感じの服着てバー行くこと?
でもそれらは一瞬で終わってしまうし、終わったらその楽しさが続かないな
思い出してこの時楽しかったなって思う→次はいつかなっていう思考回路になる
あああああああああああ
全然病んではないけどなんか楽しいことがようわからんくなってきた
いっそすごく貧しい地域かすごく田舎のところに行って自分がいかに恵まれているのかしっかり根性叩きなおしにいきたいな
という楽しいってなんでしょうね??