辺野古基地の問題
今回はずっと書きたくて、しかし自分の気持ちが論理的な考え方を邪魔していて、自分が正しいと思う社会問題の見方ができていなくてここ3ヶ月間葛藤していた社会問題についてお話しさせてください
この問題を私みたいな内地生まれ内地育ちの、ただ名護に10日間滞在した人間が書くのもなんだかなーと思ったりしたのですが現地で見て感じたことを何かしらの形で残しておきたいという思いが勝ったので今回自分の留学ブログを通して沖縄のこと、実際訪れた辺野古基地ゲート前で感じたことを綴りたいと思います。
私はこの夏、沖縄県名護市で村おこしボランティアに参加しました。
(このボランティア最高!と再度強調させていただきます)
私はボランティア滞在中、ひょんなことから辺野古基地のゲート前に赴き、そこで活動している人に話を聞く時間をいただきました。その人は辺野古基地移設計画が浮上してから22年、反対運動に参加している人でした。
「私たちの戦いはこの数年間に始まった事じゃない。22年間ずっとこの問題と向かい合っている」
「権威は民意を無視する、しかし私たちが立ち上がらなければ状況は変わらない」
これが民主主義の本来の形かもしれないですね。
この時私は「この問題を他人事のように知らんぷりしていた過去の自分」が情けなくなりました
10日間しかいなかった名護市。10日間しか眺めていない大浦湾。10日間だけと思われるかもしれない、でも私にとってはみんなとの思い出、暖かい地域の人との思い出が詰まった大浦湾。その大浦湾が次行った時形を変えていたら?あの風景をもう一度見ることができないとしたら?未熟ながらにもたくさんの感情的な思いが溢れてきて目頭が熱くなりました。
この綺麗な景色も基地が建設されると見られなくなるそうです。この果てしなく海が続いている、そんな気持ちにさせてくれるこの海の姿が人間の手で変えられようとしています。
沖縄のおばあはこんなことを言いました
「自然を簡単に変えられることは今の技術では簡単さ。でも取り返そうと思っても取り返せるものじゃない、失ってから気づいては遅いさ」
と
もし、大浦湾に滞在していなかったらもしかしたらこんな感情だったり、大浦湾に対する熱い感情が生まれてこなかったと思います。でも、もう行ってしまったから、あの綺麗な海を知ってしまったから、もう自分の気持ちを抑え切れません。これも何かの縁かもしれないですね。
感情論で話してしまいましたが、これが私の辺野古基地問題に対するスタンスです。私はニュースを伝えるときは忠実で、かつ論理的に解説することが重要だと思っていました。しかし、感情論がまさってしまうこともあるのですね。今回まさに感情論にコントロールされた味方になってしまっていますが、自分が間違いだとは感じていないので良しとします。
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